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飯田知久町教会の歴史

1924年2月3日、飯田知久町教会は基督伝道隊飯田基督伝道館として設立されました (1941年、宗教団体法による日本基督教団成立時に、飯田知久町教会と改称)。
柘植不知人先生著「ペンテコステの前後」には、創立当時のことが記されてあります。
「魂に傷を負い、霊的飢餓に遭遇し、遂に・・・教会教派に係らず、町の空屋を用いて聖会 を開いた。その時、痛を負える魂は浮塵子 (うんか)の如く押しかけ来り、多くの救は るる者、癒さるる者起こり・・・この聖会の時より 152人猛然立ち上がって、新しき群を なしここに伝道館の建設となった。(飯田知久町教会初代牧師、藤村壮七牧師記)」。

驚くべき御業の中で教会は設立されました。しかしこの背後には祈り会がありました。 この聖会がもたれる6年ほど前に、一つの山荘でもたれた小さな祈り会。3名の方が 祈りをささげられ、悔い改めの祈りがささげられました。そしてこの祈り会がリバイバ ルの始まりとなり、驚くべき御業がなされ、この飯田知久町教会も設立に導かれました。 この真実な真剣な祈りを主は聞き届けてくださいました。
「わたしの名をもってとなえられるわたしの民が、もしへりくだり、祈って、わたし の顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは天から聞いて、その罪をゆるし、その地をいやす。」旧約聖書 歴代誌下 7章 14節

教会設立の翌年、1925年7月9日には第一回の洗礼式が松川に於いて執り行われ ました。そこには97名の受洗者が与えられましたが、神様は私たちを十把一絡げに扱 うことはされず、そのお一人ひとりに豊かな恵みを与えてくださいました。その第一回の洗礼式で受洗された一人に熊谷乙次郎兄がおられます。家庭の中でキリストによって 変えられた一人の人の祈りを主は聞いていてくださり、その子どもが救われ、そして 82年の時を経てその孫である方が不思議なかたちで救いに導かれました。そして今も 家族のために、職場の方々のために、またこの地のために祈りをささげておられます。
『二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」』新約聖書 使徒の働き16章31節

また、教会は恵みと共に、歴史の中で、大きな試練に直面しました。創立して10年が経ったとき、信仰における問題と教会の体制への対立が教会内で起こり、話し合いでは解決できず、30名もの方々が教会を離れていかれ別に集会をもたれるようになりました。飯田市の大火、土地における裁判問題、三六大水害、そして無牧の期間の歩み、悲しみも涙もあったこの教会の歩みでありますが、神様はこの教会を見捨てるこ とはなさいませんでした。恵みを注いでこの教会の方々を守ってくださったことを信じています。無牧の期間、教会の方々を励ましてひたむきにお仕えくださった方々のその 労苦も誰よりも理解してくださっているのは「隠れたことも見たもう神」です。

私たちの苦しみを共に担い、私たちの悲しみを背負ってくださった方が私たちの救い主です。「キリストは、その肉の生活の時に は、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをさ さげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。彼は御子であられたに もかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、この救の源となり、・・・」新約聖書 ヘブル5章7-9節
試練は決して喜ばしいものではありません が、神さまは愛する者の弱さを知っておられ、負いきれないような試練を与えることは なさらず、最善しかなさらないことを知りました。私たちのために十字架上で愛を示してくださり死んでよみがえってくださったお方、いのち の与え主キリストと結ばれ、主から目を離さないで歩ませていただきたいと思います。「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」 新約聖書 へブル人への手紙12章2節


