施設について
駐車場
駐車場10〜15台
駐輪スペースあります。
いずれも教会の前にあります。

庭・玄関
玄関で靴を脱ぎ、スリッパにはきかえていただき、正面の受付でお名前を記入していただきます。

受付
受付で、週報(礼拝の流れや、報告などをまとめた紙)をお渡しできます。差支えなければご記帳ください。


食堂
キッズタイム、祈とう会、聖書の学びなどで使われる部屋です。
食事の交流もします。

礼拝堂
やさしい木の色が印象的な礼拝堂です。
ご自由にお座りください。

母子室
礼拝堂の後ろの方にあります。子どもたちが安心して過ごせるお部屋です。
こどもの本やちいさなおもちゃがあります。車椅子用トイレにはおむつかえができるベビーベッドがあります。
礼拝の様子を見ること、聞くことができます。

お手洗い(トイレ)
車いす用のお手洗いございます。


バリアフリーについて
車いすや、段差にご不自由ある方は、お気軽に周囲の人間にお声かけください。

図書コーナー
キリスト教に関する本が多数あります。
ご自由にご覧いただけます。
貸し出しもできます。



お隣さんのはたけ(ファームミニストリー)
お庭はないのですが、
お隣の畑をご好意で貸してくださる方があり、
こどもたちが収穫の恵みをあずかっています。

教会の歴史

1924年2月3日、飯田知久町教会は基督伝道隊飯田基督伝道館として設立されました (1941年、宗教団体法による日本基督教団成立時に、飯田知久町教会と改称)。
柘植不知人先生著「ペンテコステの前後」には、創立当時のことが記されてあります。
「魂に傷を負い、霊的飢餓に遭遇し、遂に・・・教会教派に係らず、町の空屋を用いて聖会 を開いた。その時、痛を負える魂は浮塵子 (うんか)の如く押しかけ来り、多くの救は るる者、癒さるる者起こり・・・この聖会の時より 152人猛然立ち上がって、新しき群を なしここに伝道館の建設となった。(飯田知久町教会初代牧師、藤村壮七牧師記)」。

驚くべき御業の中で教会は設立されました。しかしこの背後には祈り会がありました。 この聖会がもたれる6年ほど前に、一つの山荘でもたれた小さな祈り会。3名の方が 祈りをささげられ、悔い改めの祈りがささげられました。そしてこの祈り会がリバイバ ルの始まりとなり、驚くべき御業がなされ、この飯田知久町教会も設立に導かれました。 この真実な真剣な祈りを主は聞き届けてくださいました。
「わたしの名をもってとなえられるわたしの民が、もしへりくだり、祈って、わたし の顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは天から聞いて、その罪をゆるし、その地をいやす。」旧約聖書 歴代誌下 7章 14節

教会設立の翌年、1925年7月9日には第一回の洗礼式が松川に於いて執り行われ ました。そこには97名の受洗者が与えられましたが、神様は私たちを十把一絡げに扱 うことはされず、そのお一人ひとりに豊かな恵みを与えてくださいました。その第一回の洗礼式で受洗された一人に熊谷乙次郎兄がおられます。家庭の中でキリストによって 変えられた一人の人の祈りを主は聞いていてくださり、その子どもが救われ、そして 82年の時を経てその孫である方が不思議なかたちで救いに導かれました。そして今も 家族のために、職場の方々のために、またこの地のために祈りをささげておられます。
『二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」』新約聖書 使徒の働き16章31節

また、教会は恵みと共に、歴史の中で、大きな試練に直面しました。創立して10年が経ったとき、信仰における問題と教会の体制への対立が教会内で起こり、話し合いでは解決できず、30名もの方々が教会を離れていかれ別に集会をもたれるようになりました。飯田市の大火、土地における裁判問題、三六大水害、そして無牧の期間の歩み、悲しみも涙もあったこの教会の歩みでありますが、神様はこの教会を見捨てるこ とはなさいませんでした。恵みを注いでこの教会の方々を守ってくださったことを信じています。無牧の期間、教会の方々を励ましてひたむきにお仕えくださった方々のその 労苦も誰よりも理解してくださっているのは「隠れたことも見たもう神」です。

私たちの苦しみを共に担い、私たちの悲しみを背負ってくださった方が私たちの救い主です。
「キリストは、その肉の生活の時に は、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをさ さげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。彼は御子であられたに もかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、この救の源となり、・・・」
新約聖書 ヘブル5章7-9節
試練は決して喜ばしいものではありません が、神さまは愛する者の弱さを知っておられ、負いきれないような試練を与えることは なさらず、最善しかなさらないことを知りました。私たちのために十字架上で愛を示してくださり死んでよみがえってくださったお方、いのち の与え主キリストと結ばれ、主から目を離さないで歩ませていただきたいと思います。「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」 新約聖書 へブル人への手紙12章2節


所属教団について
日本キリスト教団について
1941年に日本のプロテスタント教会が合同して成立した、日本のプロテスタントの合同教会です。全国に約1650の教会・伝道所を傘下に持ち、17の教区に分かれて活動しています。イエス・キリストを救い主と信じる教会です。
それぞれの地に立てられた教会で、聖書の福音に立って、礼拝、聖書の学び、祈祷会をしています。
キリスト伝道会「活水の群」について
私たちはキリスト伝道会「活水の群(かっすいのむれ)」という伝道団体に所属しています。この始まりは、基督傳道隊(キリストでんどうたい)です。
基督傳道隊は柘植不知人先生の自叙伝『ペンテコステの前後』に
不思議な神の摂理により、人為によらず、御霊の導きにより、組織されたものである。
と書かれています。その本旨は、「きよめ」がただ教理に陥り、きよめられたと称する自我が中心となって歩むのでなく、きよめられた自己を更に神にささげ、すべてがキリスト中心になり、ただ活ける神の聖言に立ち、御霊の導きを仰ぎつつ、従うことでありました。
多くの魂の救いと祝福の恵みにあずかりましたが、1927年(昭和2年)、柘植不知人師が召天され、1929年(昭和4年)秋、一度解散して、新しい聖霊による建設を待つこととなりました。
その後、1937年(昭和12年)、バックストン師(柘植師が指導を受けた師)再来日に際して基督傳道隊の名称で、バックストン師を招聘する招聘三団体の一つとなりました。
1956年(昭和31年)9月、天竜峡で教役者祈り会が開かれ、旧基督傳道隊所属の教職(主任牧師)が大部分出席し、交わりの時を持ちました。これを機会に友好団体、「基督伝道会」を設立することになり、1963年(昭和38年)4月「基督伝道会申合せ」を、暫定的な規約として制定いたしました。
1991年(平成3年)4月、名称をキリスト伝道会「活水の群」という現在の名称とし、伝道団体として新しく発足することとなりました。
今、この群は、聖書のみことば聴き、祷告の祈りを大切にし御心を求めて礼拝を大切にし歩んでいます。
「主の祈り」と「使徒信条」
主の祈り
「主の祈り」とはイエス・キリストが教えてくださった祈りです。
主の祈り
ねがわくは 御名をあがめさせたまえ
御国を来らせたまえ
御心の天になるごとく
地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を 今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を 我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いいだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン
使徒信条
「使徒信条」とは「私たちはこのように信じています」という信仰告白です。
使徒信条
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、
三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、
全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、
罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。
アーメン
